法的に認められた権利でも永久に行使できるとは限りません。実際、未払いの賃金に対する請求権に関しては一定要件を満たせば行使できなくなります。そこで賃金の未払いが生じている場合には企業もこの「時効」について知っておくことが重要です。
ここでは企業の方に向けて、その仕組みを解説します。
目次
未払い賃金の請求権も消滅時効にかかる
様々な理由により賃金が未払いになってしまうこともあるでしょう。部分的に支払いができていないということもあるかもしれません。もちろんそのままの状態では良くありませんし、労働に対する対価はしっかりと支払わなければなりません。
ただ、この未払い賃金に関する請求権には「時効」というものが存在します。厳密には「消滅時効」と呼ばれるもので、一定要件の下、その権利が消滅するという仕組みです。いつまでも権利行使ができてしまうと法的安定性を欠いてしまうことなどから設けられています。例えば、何十年経とうが権利を行使できるとしてしまうと、大昔の事柄の影響を受けて現在の様々な法律関係等が崩れてしまうおそれもありますし、証拠が散逸してしまっていることから争いが複雑になってしまうなどの問題も生じます。また、権利が行使できるにも関わらずそれを放置していた側にも一定の帰責性がある、とも考えます。
いずれにしろ、未払いの賃金を従業員が請求する権利は一定期間を経過し、会社側が時効を「援用」することで消滅します。一つ注意が必要なのは、期間の経過で当然に消滅するわけではないということです。民法145条にあるように、正当な利益を有する者が、時効消滅による利益を受けようとする旨意思表示することが求められています。
民法第145条
e-Gov法令検索:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089
時効は、当事者(消滅時効にあっては、保証人、物上保証人、第三取得者その他権利の消滅について正当な利益を有する者を含む。)が援用しなければ、裁判所がこれによって裁判をすることができない。
法改正により未払い賃金に関する時効期間が延びた
未払い賃金の請求(賃金請求権)の消滅時効期間についてですが、近年法改正がなされており、従来とは運用が変わっていますので注意しましょう。
法改正の背景
民法に関して大幅な改正がなされています。そのうち消滅時効に関する時効も改正されており、民法の特別法にあたる労働基準法にもその影響が及んでいます。改正により賃金の請求権の消滅時効期間は延長され、より権利が消えにくくなったのです。比較的立場の弱い労働者の保護を図るためです。
時効期間が2年から5年へ伸長
かつては2年経過後、援用すれば請求権が消滅するとされていました。
しかし改正後は、労働基準法145条の規定に従い「5年」の時効期間に係ります。
労働基準法第115条
e-Gov法令検索:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000049
この法律の規定による賃金の請求権はこれを行使することができる時から5年間、この法律の規定による災害補償その他の請求権(賃金の請求権を除く。)はこれを行使することができる時から2年間行わない場合においては、時効によつて消滅する。
ただ、同法143条3項では、当分5年ではなく「3年」とする旨も規定されています。
労働基準法第143条第3項
e-Gov法令検索:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000049
第115条の規定の適用については、当分の間、同条中「賃金の請求権はこれを行使することができる時から5年間」とあるのは、「退職手当の請求権はこれを行使することができる時から5年間、この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)の請求権はこれを行使することができる時から3年間」とする。
従来2年とされていたものを直ちに5年としてしまうと実務への影響の反動が大きすぎることなどから、このような経過措置がとられています。
退職金請求権の時効期間に変更はない
上記変更の対象となるのは、「賃金」として含まれる債権です。そのため残業に関することや有給休暇中の賃金、休業手当など、様々な金銭が含まれます。
しかし退職金に関しては元来、時効期間が長く設定されており「5年」とされていました。そのため経過措置として他の賃金と一律に「3年」とする必要がない、ということでそのまま変わらず5年で消滅時効にかかります。
同規定にかかわらず基本的には労働者保護を目的に改正がなされていますので、その観点から考えても退職金請求権について短くしないということも理解できます。
その他関連規定の改正
未払い賃金の請求権が5年の時効に係るように変わることに伴い、賃金台帳等の記録を保存する期間も5年に伸びました。当分は3年で運用されるのも同様です。
また、付加金の請求権に関しても、同じく2年から5年へ伸び、当面3年との変更がなされています。
なお付加金とは、休業手当や解雇予告手当等の未払いに関して、裁判所が支払いを命じる金銭のことをいいます。未払い分に加算する形で支払うことになり、企業側のペナルティとして課されます。
未払い賃金請求権の時効はいつから起算されるか
当分は賃金未払いのまま3年が経過すると、企業は消滅時効を援用できるようになるとのことですが「いつから3年」なのか知っておくことが大切です。この始まりの日を「起算日」と呼びます。
起算日に関しては法改正の影響を受けておらず、同法115条に定められている通り、「行使できる時から」計算します。そしてこの行使ができる時とは、賃金の支払日を指します。支払期日として定められている日がやってくれば労働者は企業に対し賃金を求めることができるため、その日から3年を計算するのです。
未払い賃金の時効期間延長は実務への影響も大きい!
比較的企業への影響が小さい改正も含めれば、毎年のように様々な法律が改正されています。しかし今回の労働基準法改正は、企業にとって直接的で大きな影響を与えるものです。しばらくの間は3年ですが、企業は長くリスクを保有しなければならなくなります。もちろん、未払いが発生しないようにすることがコンプライアンスのためでもありますが、企業各々の経済的事情もあるかと存じますので場合によっては時効の援用も検討しなくてはなりません。
なお、時効の援用や未払い賃金に関する対応については、こちらの記事で解説しています。
援用をするかどうかは当事者の良心によるところですが、その行使自体、法律で定められた正当な権利です。最終的には広い視野をもって、援用が企業にメリットある行為かどうかを判断することになるでしょう。